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アスペルガー症候群(2) 限定された興味、関心

アスペルガー症候群は興味の対象に対する、きわめて強い、偏執的ともいえる水準での集中を伴うことがある。 例えば、1950年代のプロレスや、アフリカ独裁政権の国歌、マッチ棒で模型をつくることなど、社会一般の興味や流行に関わらず、独自的な興味を抱くケースが見られる。輸送手段(鉄道・自動車など)、コンピューター、数学、天文学、地理、恐竜、法律等は特によく興味の対象となる。なお、これらの対象への興味は、一般的な子供も持つものである。アスペルガー児の興味との違いは、その異常なまでの強さである。アスペルガー児は興味対象に関する大量の情報を記憶することがある。

また一般的に、順序だったもの、規則的なものはアスペルガーの人を魅了する。これらへの興味が物質的あるいは社会的に有用な仕事と結びついた場合、アスペルガーの人は実り豊かな人生を送る可能性がある。 例えば、コンピューターに取りつかれた子供は大きくなって卓越したプログラマーになるかもしれない。 反対に、予測不可能なもの、不合理なものはアスペルガーの人に嫌われる。

彼らの関心は生涯にわたることもあるが、いつでも突然変わる場合もある。 どちらの場合でも、ある時点では通常1~2個の対象に強い関心を持っている。 これらの興味を追求する過程で、彼等はしばしば非常に洗練された知性、ほとんど偏執狂とも言える集中力、一見些細に見える事実に対する膨大な(時に、写真を見ているかのような詳細さでの)記憶力などを示す。 ハンス・アスペルガーは彼の幼い患者を小さな教授と呼んでいた。なぜならその13歳の患者は、自分の興味を持つ分野に、網羅的かつ微細に入るまでの、大学教授のような知識を持っていたからである。

臨床家の中には、アスペルガーの人がこれらの特徴を有することに全面的には賛成しないものもいる。たとえばWing と Gillberg はアスペルガーの人が持つ知識はしばしば理解に根付いた知識よりも表層だけの知識の方が多い場合がある、と主張している。しかし、このような限定はGillbergの診断基準を用いる場合であっても診断とは無関係である。

アスペルガーの児童および成人は自分の興味のない分野に対しての忍耐力が弱い場合が多い。 学生時代、「とても優秀な劣等生」と認識された人も多い。これは、自分の興味のある分野に関しては他人に比べて遙かに優秀であることが誰の目にも明らかなのに、毎日の宿題にはやる気を見せないからである(時に興味のある分野であってもやる気を見せない、という意見もあるが、それは他人が同じ分野だと思うものが本人にとっては異なる分野だからだと思われる。たとえば、数学に興味があるが答えが巻末に載っている受験数学を自分で解くことには興味が持てない、日本語の旧字体に興味はあるが国語の擬古文の読解問題には興味が持てない、など)。ノートに文字を手書きすることを、とても面倒で苦痛に感じる子供もいる。一方、反対に学業において他人に勝つことに興味を持ったために優秀な成績を取る人もいる。これは診断の困難さを増す。他人に自分の主張を否定されることに強く嫌悪感を覚えるという人もいる。このことは学校などで学習上の大きな障害となる。教師が生徒にいきなり答えさせ、「生徒: これは○○だと思います」「先生: 違うよね、これは○○だよ」というように、否定して答えやヒントを教えるような方法は相当な苦痛となる。 しかし多くの成人は、忍耐力のなさと動機の欠如などを克服し、新しい活動や新しい人に会うことに対する耐性を発達させている。

アスペルガーの人は高い知能と社交能力の低さを併せ持つと考える人もいる。

このことは子供時代や、大人になっても多くの問題をもたらす。 アスペルガーの子供はしばしば学校でのいじめの対象になりやすい。なぜなら彼等独特の振るまい、言葉使い、興味対象、身なり、そして彼等の非言語的メッセージを受け取る能力の低さを持つからである。彼等に対し、嫌悪感を持つ子供が多いのもこのことが要因だろう。このため教育の場である学校において、今後はサポート体制の確立や自立の支援、他の子供への理解を深めさせる、といった総合的な支援策が必要になるだろう。

「アスペルガー」という一つのカテゴリーであっても、人によって障害の度合いは千差万別である。例えば学校の友達と上手く話せたり、話を上手くまとめられるなど、至って軽度な場合もある。また、上手く話せず、それでもよい友達に巡り会えたから必死で耐えている、というように、自閉度が中度~重度なこともある。 この障害は「自閉症」などとは違い、一見「健常者」に見えるために、周りからのサポートが遅れがちになったりすることが問題となっている。

アスペルガーの人は他の様々な感覚、発達、あるいは生理的異常を示すこともある。その子供時代に細かな運動能力に遅れをみせることが多い。特徴的なゆらゆら歩きや小刻みな歩き方をし、腕を不自然に振りながら歩くかもしれない。手をぶらぶら振るなど(常同行動)、衝動的な指、手、腕の動きもしばしば見られる。

アスペルガーの子供は感覚的に多くの負荷がかかっていることがある。騒音、強い匂いに敏感だったり、あるいは接触されることを嫌ったりする。例えば頭を触られたり、髪をいじられるのを嫌う子もいる。この問題は、例えば、教室の騒音が彼等に耐えられないものである場合等、学校での問題をさらに複雑にすることもある。 一方で、自己の疲労感、眠気、空腹感、のどの渇き、尿意、発熱、寒気、暑さなどに対する自覚が鈍く、ぎりぎりになるまで気づかず、計画的な解消行動をとれない人もいる。このことは、程度が重度でさえなければ、本人の日常生活にはさほどの支障をきたすものではないが、団体行動を難しくする一因になる。

アスペルガーの人は、自分があまり興味を持たない事柄に関して、「実体験から因果関係を導き出し、一般法則として身に付ける」ことが不得手なことがある。例えば「寒気がして鼻水が出るなら風邪を引いている」「黒板が見えなくなってきたら近視が進んでいる」などの法則を自分で発見することが難しい。もちろんそれらの問題が「激しく」「突然に」現れれば気付くこともあるが、だんだんゆっくりと進行してくる問題には、その不快な状態にも「こんなものだろう」と勝手に納得して慣れてしまう。そして、その状態を「工夫すれば解決できるもの」とも思わず、我慢するか、諦めてしまうのである。このようなことは健常者にも起こるが、アスペルガーの人には生活に支障をきたすレベルで起こるということである。

例えば「冬でも厚着をすれば寒くない」という法則に気づかない場合、最低気温を更新するような厳寒の日でも「今日は特に寒いなぁ」と思いながらいつもの服装で出かけ、ただ耐えていたりする(「寒い」ことに特に肉体的に耐性があるわけではない。この場合、他人より一層寒さが堪え活動力が下がるが、その自覚がないということである)。この場合、本人は「冬の服装は、Tシャツにシャツにコート」などと覚えており、そこから自分で「特に寒い日はTシャツを重ね着してもよい」と発想を飛躍することが難しいのである。反面、「異常に寒い日は変な重ね着をしてもよい」というお手本をテレビや本で読んだりすれば、その概念はすんなり入り、身につくという面もある。テレビや活字のように一度時間をかけた編集を経たメディアで得る情報は信じられるが、自分の感覚からくる法則やリアルタイムの会話による情報にはあまり信頼を置いていないと言い換えることもできる。なお、これらの困難は「自分にとってあまり関心のない/不得意な分野」に強く現れる。「自分にとって関心のある/得意な分野」に関しては、観察力や注意力に不足はなく、目端も利き、かえって常識にとらわれない新しい発想をすることも可能である。